「いいかい。」
と小学一年生の甥っ子、メイスケは言った。
「おじさんはイコールと言ったが、僕にはまずそれが理解できないんだ。」
僕は肩をすくめてもう一度説明する。
「そうは言っても、1+1=2なんだよ。これ以上説明の仕様がない。出来る限り分かりやすく伝えるとすれば、ここに林檎がひとつあるだろう。」
「うん。」
「ここにもう一つ林檎を足す。さて、今メイスケの前に林檎はいくつあるかな。」
「林檎の定義が曖昧だけれど、おじさんの言う林檎は今二つになった。」
メイスケはいつもの学者めいた口調で応える。彼は出会った時からこんな口調だった。
「でもね、僕が今気になっているのは、その少し前のことなんだ。」
と彼は続けていった。
「イコールの定義についてだよ。例えば、林檎は果物だろう。」
「そうだな。」と僕は応える。メイスケは心底不思議そうに尋ねた。
「つまり林檎イコール果物だ。この場合のイコールは、果物というジャンルの中に、林檎という種類が含まれているという意味になる。君の言う1+1=2という数式に使われているこの記号も、それと同義と言う認識でかまわないのかな。」
「そうじゃない。」
と僕は応える。続けてこう言った。
「たしかにイコールは、含まれているという意味になる場合がある。だけど、この場合、特に君のドリルにあるこの数式を解く場合について、これは同じであるという意味になる。含まれているという意味の記号は、高校生になればきっと教わる。」
「だとすれば、だよ。」と彼は言う。
「1+1という数字と、2という数字は、全く同じなのかい。」
「同じさ。」
「いいや。同じじゃない。同じだとすれば、こんな数式は存在し得ない。」
「どうして。」
「いいかい。同じものを同じであると主張することなんて、未来永劫あり得ないんだ。何故ならそれは同じものなんだから。僕は僕であるなんてのは、無意味なトートロジーに過ぎないだろう。もしも1+1というものと、2というものが全く同じなのであれば、ここにこんな数式が現れることなんてあり得ない。並列に存在し得ないんだよ。だって同じなんだから。1+1と2が全く同じものであるならば、どうしてこんなふうに二つを並べることが出来るんだい。だって同じなんだろう。我々はその二つの違いを認識することは、永遠にあり得ないということだ。」
僕は首を傾げて尋ねた。
「しかし、同じものについて、これが同じであるという主張の存在が、そんなに不自然かな。」
メイスケは言う。
「不自然さ。どうしてわからないのかな。同じっていうのは、違いが無いってことだ。違いがないってことは、見分けがつかないってことだ。見比べられないってことだ。1+1という記号を見た時と、2という記号を見た時に、我々はそれを〈並べる〉〈比べる〉という発想さえ持ち得ない。いいかい。何度も言うけど、同じなんだから。」
メイスケは得意げに指をくるくる回しながら説いた。彼の左手首につけられた、最近流行の妖怪のキャラクター腕時計が場違いに光る。彼は特に趣味が大人びているわけでもなく、また卓越した頭脳の持ち主でもない。ただひたすらに捻くれ者で、大人を小馬鹿にする能力に長けた、〈どこにでもいる子供〉なのだ。
最後に彼はこう締めくくった。
「つまり、このイコールという記号は、同じだと主張することでその違いが顕になるという、虚しい敗北の記号だよ。」
僕は苦し紛れにこう言った。
「まるで恋愛だ。」
「え。」
「どこまでも同じで、どこまでも違う。一つになれそうで、一つになれない。俺達が林檎を食べたその日から、きっと敗北は決まっていたんだろうな。だけど、メイスケ、これだけは言っておく。」
「なに。」
「お前は愛する親しき隣人、サリーちゃんを唯一無二の女神様だと考えているだろうが、そんなものは幻想で、この先の人生で、全く同じ女神とあちこちで出会うだろう。イコールで並べようとも思わない、違いの分からない、同じものだと認識してそのことにすら気づけないような女神様にな。」
メイスケは赤面してこう言った。
「そんなこと、ないよ。」
「あそこに毛が生えればわかるさ。」
居た堪れなくなったメイスケが自室へ走り去っていった。
煙草に火をつけた僕は、いつかどこかで見た煙の形を、まるで見たこともないイイ女に重ねあわせたのだった。
(了)
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