がっかりアバターさんのウェブサイトがすごい。
ちゃんと検索でこりっちよりも上に出るし。
羨ましい。
ちくしょう。
ウェブサイトくらい自力で何とかしなくちゃいけない時代なのだと、
息巻いて頑張っているが、
限界がすごい。
まず僕がこのがっかりアバターさんのサイト(http://www.gakkariavater.com/)
を作ろうと思っても、
もうもはや何をしていいのかがわからない。
マジで羨ましい。
ただ僕の家のパソコンは完全に病気なので、
この手のサイトを開くと、あとはもう何もできなくなる。
MONOの「のぞき穴、哀愁」を観てきた。
覗く、というテーマに関しては、
「のぞき屋」という僕のかなり好きな漫画があって。
特に1~3巻くらいで「覗く」という行為について色々語られるんですけど。
「哀愁」は、「のぞき屋」まで論が展開する前に収束していったなあという印象。
「俺たちは覗いているだけで、何もしてない」
「存在してないのと同じ」
「穴のこっち側じゃなくて、穴のあっち側にいなきゃダメなんだよ」
っていうのが「のぞき穴、哀愁」のお話なんやけど、
対して「のぞき屋」は、
「お前は、俺に覗かれることで存在できる」
「覗くという行為は、覗かれているのと同じ」
「互いに覗きあって、存在を確認できる」
っていうのお話なんですよね。
なんかこう、
「覗くという行為に対するプライド」とか、
「想い」みたいな、
まあそんな単純な表現しかできないのが情けないけど、
そういう、「覗き論」みたいなもので、
完全に「のぞき屋」を下回ってしまったかなあ。
あとまあ、MONOは下ネタってやらないのかな。
ボールペン、あいつ絶対舐めるよな?
それは、逆にもう舐めないことが異様に不自然に感じた。
(正確には「新・のぞき屋」。面白いですよ。)
僕は昔からブログが好きで、
ほんとに中学生の頃からやってて。
誰にも見せない「日記」を書く人間が信じられない。
そんなものを、何のために書いているのかが理解できない。
誰にも読まれないなら、それは存在してないのと同じじゃないか。
って言っても、
日記を書くタイプの人種は、むしろ
「自分のこと赤裸々に書いてみせる意味がわからない」
と、僕を非難する。
高校生のころ、WEB上で鍵付きの日記みたいなのをよく当時の恋人が書いていた。
あれを僕はなんとしても読もうとしたし、パスワードを尋ねたりした。
ときにあっさり教えてくれたり、「何も書いてないから」と拒絶されたりした。
見せられないようなこと書くなよ、と僕は確か怒っただろうか。
あるいは、泣いただろうか。
遅ればせながらR-1を見た。
あるある言いたいは、絶対に右から何かが来てるのほうが構造として秀逸やんな。
こういうのを流行り廃りみたいな感じであっさり消さないで欲しい。
そりゃ何回も見たから飽きるし、笑わなくなるけど、
あるある言いたいよりも右から何かが来てるのほうが、
あきらっかに!上等やん!!
だから俺はあるある言いたいのやつは絶対笑えへん。
あんなんで俺わろたれへん。
あの駅員のやつが俺一番面白かった。
駅員のやつ良かった。
(了)
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