柳瀬真由の悪い癖 #1


 生まれ変わったら二度と缶コーヒーなんか飲まないし、米津玄師あたりの歌を平気で聞けるようになるんだと思う。一眼レフのカメラ、キャノンのEOSkissX4を首からぶら下げて、井の頭線の線路沿いを歩きながら、猫を撮って本気で可愛いとか思ったりするんだと思う。下北沢に住んでいる男子、小劇場で活躍する二十三歳の売れない俳優が、もうすぐあたしの彼氏になりそうな予感がしてるんだと思う。夢を応援してあげたいって思うと思う。だけどまさか結婚なんて考えられないから、今はただマッシュルームカットで撫で肩の、笑うとき少し俯く横顔と、覗く鎖骨に触れていたいだけだし。

 前世の記憶が少しだけあって、あのとき自殺して正解だったと心から思うんだと思う。市民税の督促状と、三か月分のガス料金の払込票と、絲山秋子の小説とか空っぽのコンビニ袋とか、実家の鍵とか煙草の灰が、素足に触れる感覚が時々蘇ったりなんかして。だけど誕生日プレゼントで貰ったタッセル付きのアンクルブーツで思い切り地面を踏めば、今は今の人生だから、生まれる前のそんな人生のことなんてきっと乗り越えていけるんだと思う。と思う。カラスがゴミ袋を破くのさえちょっと愛らしく見えて、レンズを向けたときに少しだけ、まるで自分みたいだと思うだけで、そのとき少し思うだけで、あとは何も問題ないと思うんだ。絶対。だってあたしはもう生まれ変わったんだし、事実名前も顔も姿も形も、趣味も性格も血液型も、それに付随して占いの結果も、全部前とは違うんだから。だから絶対に大丈夫。と思うと思う。もしも生まれ変わったら。

 だから絶対大丈夫。あたしはロープに手をかけた。ドアノブが軋む音がする。ゴミの中に一枚だけ、遺書を残してみたりして。最初に読む人が警察かあたしの母親か、大穴で元彼か分からないけど、どうせ誰も気が付かずに捨てるのがきっと大本命。だってレシートの裏だし。忘れないようにメモするみたいに、ごめんと一言書いただけだし。ごめんって。誰に謝ってるんだろうか。


 さてそんなことよりカラスである。あたしはシャッターを切る。その瞬間、黒いみんなは羽ばたいていく。不吉な鳴き声が響くけれど、それさえ今は美しく聞こえる。あたしの名前はソヨカゼミサキ。明大前に住む可愛い可愛い女子大生。趣味は一眼レフ。特技は風船ガム。好きな飲み物はたぴヤの柚子はちみつティー。うるさいな。好きな球団は広島カープ。頭が揺れるから叩かないで欲しい。好きなテレビは有吉さんの出てるやつ全部。そんな女子に生まれ変わるところなんだから。あったかいんだからで笑えるような、ラッスンゴレライとふざけるような、そんな女子に今生まれ変わって、ほんとにあのとき死んで心から良かったって思うと思えるって思うんだから。あったかいんだから。手足が痺れてくるんだから。柳瀬さんって誰だよバーカ。あたしの名前はソヨカゼミサキ。もうすぐ彼氏の、(って言ってもまだ彼氏じゃないんだけどテヘ☆)、劇が始まるんだから。あたしはそれを観るんだから。面白くても面白くなくても、楽屋に行って少し汗をかいた彼の、キラキラした笑顔を、一眼レフで、あたしの首から下げた一眼レフで、米津玄師を聞きながら、終了後の劇場に流れるクソみたいな歌を聞きながら、クソじゃないって思って、ダメよダメダメあったかいんだから。


目の前が黒くなってくるんだから。それが羽ばたいて飛んでいくんだから。彼氏のキラキラした笑顔に向かってあたしがシャッターを切った瞬間、市民税の督促状と、三か月分のガス料金の払込票と、絲山秋子の小説とか空っぽのコンビニ袋とか、実家の鍵とか煙草の灰が、カラスになって飛んでいくんだから。そしたらそれを愛しいって思って、井の頭線を、たぴヤの柚子はちみつ、アンクルブーツ、マッシュルームカット、あたしの名前はヨソカゼミサキ、明大前の一眼レフ。


飲みかけの缶コーヒーが倒れて、床がびしょびしょになった。

こんなことになるんなら、缶コーヒーなんて買わなきゃ良かった。


あたしは死んだ。スイーツ(笑)