絶望というか諦観にも似た無感動

どうもこんにちは。

福谷です。


嫌な事と言うのは重なるもので、

また先日、

身近な関係において大いに失望を感じる出来事がありました。


いや失望どころか絶望というか、

諦観にも似た無感動状態になったのを、


それじゃいけないと無理やり怒りに変換して、

弱弱しく出力しました。


全くもって鬱陶しい。

怒ることすら面倒である。


はっきり言って、やれやれだ。


僕は、基本的にウソをつかないようにしている。

いや、つくが。


「好き嫌い」に対してウソをつかないようにしている。

それをやり始めると、とてもつまらなくなるからだ。


テレビのヤラセにも似ていて、

多少の誇張や誘導は演出として有効でも、

「結果そのもの」に対して手を出してしまった瞬間、

それは「とてもつまらないもの」になってしまう。

と思っている。


ま、無論バレなければ問題はないが、

ウソなんてものは往々にしてバレるものである。


さて。


好きなものに対して好き度を調整したり、

嫌いなものに対して嫌い度を調整するのはイイ。


それは人と人との関係上むしろ大切なことだとも思う。



……うーん。

うまい具合に事実を隠しながら、

例え話で物語れないかと思ったが、

残り何行書いても言いたいことにたどり着く気がしないので、


この辺で唐突にやめてしまおうと思います。


僕は暇ではないのだ。


劇団内でもっとクラウドコンピューティングって言うんですか?


もっとこう、インターネットを駆使して活動していきたいんですが、

わりと劇団員にパソコン原人が多くて参る。


会議ぐらい、

本当なら同じ場所に集まらずに済ませたいものだ。


便利な世の中なはずなのに、

今一つ便利さを使いこなせている感覚が無い。

不便だとさえ感じることがある。


例えばLINEなんて、

過去のやり取りを確認するのがものすごく面倒だ。

とても時間の流れが速い。

「今」のやり取りしかできないサービスだと思った方がいい。


wordファイルなんか、

MacとWindowsでは実質的に共有不可能だ。

同じOSでも、バージョンが違えばズレが生じる。


LTEやWi-Fiはどこもかしこも通信制限。


Googleアカウントでどこでもデータがとり出せて便利だが、

実際のところその情報がどこにあるのかがわからなくなる。


結局、台本なんか紙に印刷して手元に置いておくしかないのだ。


LINEでなく、顔をつきあわせて会話を。

wordファイルなんかじゃなく手書き文字を。


結局そういうことなのだ。


ああ、なんと不便な世の中よ!


そもそも技術的に高速通信が可能になればなるほど、

同じく技術的にネット上の色んなデータ量も大きくなるっていったい何がしたいんだ。


もう動画はこれ以上綺麗にならなくていい。

WEBサイトはもっと質素でいい。


だから、通信速度を優先しようじゃないか。


ああ、しかし溜息が止まらない。


大好きなあの子のことを考えようにも、

くだらないことが頭の中で騒ぎやがる。


くだらないくせに、声だけはデケェんだ。


僕は今面白いことを考えている。

誰も傷つけない面白いのと、

たっぷり人権蹂躙する面白いのと、

まだ誰にも話してない面白いのを、


僕は考えている。


誰にも邪魔されたくない。


応援すらしてくれるな。


黙っていろ。


僕は面白いことを考えている。


(了)